Book Zazen

書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

紹介 呉智英『読書家の新技術』(朝日文庫、1987年) 連載② ー小泉信三氏『読書論』・青年の読書ー

.読書論を読書する(つづき) 

ここで批判の対象として取り上げられるのが、祥伝社の「知的サラリーマンシリーズ」である。同シリーズの書き手は、、竹村健一氏、渡部昇一氏、堺屋太一長谷川慶太郎氏、日下公人氏、谷沢永一氏、小室直樹氏、山本七平氏らである。ここで呉氏が批判の対象として取り上げるのは、ビジネスマン向けの実用書(国際情勢、経済の動向など)ではなく、「教養書」や、読書論である。これらは「現在の知の混迷状況に乗じた愚劣でいかがわしい」ものであるから批判の対象になるというのである(45頁)。

 

その代表的なものが、谷沢永一氏の『古典の読み方』と谷沢氏が師と仰ぐ山本七平氏『論語の読み方』である。この2冊は「それなりの」売れ行きを見せるという現象を起こした。明治以後の近代教養が、おおよそ1960年代後半に大きな流動化を見せたからだという(46頁)。

 

それでは「近代教養」とは何か。呉氏は、啓蒙主義、社会・国家の欧米化目標主義、近代的人間主義の三点を挙げる(同頁)。

 

これらは明治から戦戦後二十年の長きにわたり命脈を保ってきた。だが、それもいまになって、大きく流動化しているのである。そのことを考えるにあたっては、近代教養の入門書たる小泉信三氏の『読書論』を見る必要があるのだ。

 

 

小泉信三氏の『読書論』(岩波書店、1950年)

ここで呉氏は小泉信三氏の『読書論』(岩波新書で読める)を挙げて、内容を分析する。小泉氏の『読書論』は、明治以後の近代的教養への入門書としての典型的読書論であるから、教養のゆらぎを考察するにあたって出発点となるというのである。

  

小泉信三氏は、1888年すなわち、明治二十一年の生まれであり、慶応大学を卒業後、同大学の教授、塾長にまでなった。この『読書論』は初版が1950年で、岩波新書の番号が47であるという。

 

*呉氏は著者の略歴や発行経緯から、この本がある程度推察できるというのだが、これはどういう意味なのだろうか。小泉氏は、「岩波文化人」とはちがう立ち位置であったと理解しているが、小泉氏の経歴や戦後5年という時代状況、岩波新書で長く読み継がれているということなどから、この本を推察できるのだろうか。私が当時の知識人の立ち位置や社会史に詳しくないからだろうか。敗戦後すぐということであれば、知識に対する飢えを癒す効果があったということなのだろうか。

  

同書の中では、福沢諭吉泉鏡花、国訳漢文大成、森鴎外夏目漱石大西祝志賀直哉、デュマ、ギボン、ゲーテ、ギゾー、カント、クロポトキンマルクスエンゲルス、ミル、トルストイウェーバー他などが挙げられている。共産主義系の思想もあるが、「熱心に共産主義批判の著作を書いていた小泉にとって、共産主義なるものは、当然よく理解していなければならないものだった」(49)からであるという。

 

「私は、読書の有用無用を、いわば今日蒔いて明日刈れるというような、卑近の実利によって判断すべきものではないことを言うのである。人類の文化の偉大なる産物は、この卑近なる意味においては無用なる読書、また無用なる思索の中から生まれたのであることを忘れるべきではない」(小泉信三『読書論』岩波初書店、1964年、12頁)

 

ここから小泉氏の読書論が目指すところを、教養人と専門バカではない専門家であると判断している。(50頁)

 

だが、小泉の読書論も戦後20年ほどして、「ゆらぎ」を見せ始めたのである。結論を先取りして言うなら、小泉の読書論が「青年の読書論」、「青年の理想主義の教養論」であるからだという。

*私はまだ小泉氏の読書論のどのあたりが青年の読書論なのかが分らない。どちらかというと大人の読書論だと思っていたのだが・・・・。

 

3.青年の読書論(51頁)

冒頭、呉氏は近代教養が青年のものであったことと、小泉氏挙げた本は、「オトナ=社会人=生活者は絶対(と断定しておく)読まない本」(51頁)であるという。

 

「オトナが福沢諭吉森鷗外杉田玄白やギゾーやクロポトキンショーペンハウエルを読むことは、青年期にこれらを読んだことがなかったオトナはいうまでもなく、青年期に一度読んだオトナでも、普通の生活人の場合には決してない」(52頁)。

 

*呉氏はこのようにあえて断言しているが、これは不用意な発言ではないだろうか。反証を挙げられればすぐに否定される種類のものである。現に私は「オトナ」になってかも、福沢、鴎外(断片的にショーペンハウエル)ぐらいは読むことはある。いやここでいう「オトナ」とはそういう意味ではなく、理念型として述べたものだというかも知れない。仮にそうであったとしても「オトナ」という言葉を呉氏がそのように用いるという約束事を述べたに過ぎず、そのように規定してよい根拠が示されていないように思われるのである。

 

近代教養の特徴は、青年と大人とで理念が断絶している点にある。それは、挫折とか転向などという現象となって現れる。転向は、拷問や経済的圧迫からのみ生じるのではなく、「オトナ=生活者=社会人」からの乖離の不安から生じることがあるのだ。

 

明治以降であっても、「オトナ=生活者=社会人」に読書や教養などもちろんあった。それは生活訓や処世術を論じた大衆読物である。中里介山国枝史郎の作品は別にして、そのほとんどは論理体系をもたない諺集のようなものであり、非体系的な常識論を、漢籍や仏典、欧米の思想家の言説を寄せ集めて補強したものにすぎない(54頁)。

 

「だから、やはり、読書ということになると、たとえ「青年の」という形容詞がつきがちであったにしても、近代教養としての整合性をもった、小泉信三『読書論』型のものしかなかったと言える」(同頁)

 

この矛盾に気がついていたのは、柳田国男渋沢栄一である。

 

それでは、近代教養はどのようにゆらいでいるのだろうか。呉氏は「高度成長を基盤とする大衆社会状況」に関係しているという(55頁)。大衆社会とは「高度に資本主義が発達した社会が呈する様相」のことで、この社会では、誰もが多少なりとも教養を前提とした知識人である。明治以来の教養の三本柱が、このような社会をもたらしたのだが、結果的にその使命を終えようとしている。その際、代わって要求されるのが、「オトナ=社会人=生活者」の読書、「明治・大正・昭和前期よりも洗練された形での生活訓や処世術や町人哲学」つまり「俗流教養」である(56頁)。

 

 

「学生の叛乱」は、様々な知の形を現出させたが、すぐに限界を露呈した。その際、「最後に信じられるものは事実である」という事実主義を生みだした。また、教養が全く放棄されたわけではなく、オトナ=社会人=生活者が求めた教養がある。それが本節冒頭の著者らの説く生活訓や処世術からなる「町人哲学」=俗流教養である(56頁)。この状況下で冒頭の著者らが登場し、勢いを得て活躍していると呉氏は見るのである。

 

そして、谷沢永一氏の『古典の読み方』での論語論や、谷沢氏が師と仰ぐ山本七平氏『論語の読み方』における孔子像を批判し、呪的世界の転換期に生きた孔子を描く白川静氏の『孔子伝』や諸星大二郎氏の『孔子暗黒伝』の孔子像を評価しようとするのである。

 

③に続く。