Book Zazen

書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

コンメンタール② 外山恒一氏『良いテロリストのための教科書』(青林堂、平成29年)、明治思想史における右翼と左翼の源流について。

新年明けましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願い致します。

 

新年の挨拶のあとにする話しだと思えないのですが、今回も前回に引き続き、外山恒一氏の本の中で見た文章について、知っていることを述べたいと思います。

 

 第二回は、 

 

日本の右翼の源流である頭山満も左翼の源流である中江兆民自由民権運動が活動歴の出発点で、いずれも西郷隆盛を尊敬していました。自由民権運動の過程で、民権つまり民主主義を定着させるためにはまず国力を充実させる必要があると考え始めた人たちの代表格が頭山満です。逆に中江兆民の弟子筋から幸徳秋水が出て、幸徳は明治の社会主義者の代表格であり、アナキストです」(外山・上掲書、40頁。太字引用者)。

 

という部分について、私の知っていることを述べます。

 

外山氏は、現在では右派・保守派のものとされている「ナショナリズム」が、フランス革命当初、左翼のものであったという事を論じた後で、上記発言をしています(もっとも、左翼はその後「インターナショナル」を掲げて行くということですが)。

 

まず上記太字部分に関連するテーマは、私にとって懐かしいテーマです。大学の「アジア主義」に関する演習を思い出すテーマです。今はしょうもない仕事をしていますが、この頃は楽しかったです。そんなことはこの記事を読む方には関係ないことでしょうが・・・。

 

前回の発言については、呉氏が言及されていた訳ですが、今回外山氏は特に誰の名前も持ち出していません。私の勘違いである可能性はもちろんあります。だから、本文を読んだ上での推測で言うのですが、上記の点を詳しく知りたければ葦津珍彦氏の史論「明治思想史における左翼と右翼の源流」を読めばいいのではないかと思います。再度言いますが、外山氏は葦津氏の名前は持ち出していませんのでご注意ください。

 

葦津氏については、以前不完全ながら少しだけ書いておりますので、参考にしてください。

 

book-zazen.hatenablog.com

 

葦津珍彦氏の史論「明治思想史における左翼と右翼の源流」

私の持っているのは葦津珍彦選集編纂委員会・編『葦津珍彦選集(第二巻)』(神社新報社、平成八年)に所収の論文である。大学生協で取り寄せて購入した時、生協の店員のおば様から、「すごい高い本ですねー」と言われたが、それだけの価値がある文集(1,034頁あり)である。

 

さて、葦津選集には二つ同じタイトルの論文が載っている。一つは、「第一部史論」の中にある論文で、もう一つは『戦闘者の精神』の中の論文である。何故かなと思っていたら、編者の註に第六、七、八節は、『戦闘者の精神』の方から持ってきたものであると書いてあった(908頁)。それぞれの章立てを記載しておく。

 

「第一部史論」所収の「明治思想史における左翼と右翼の源流」

六、中江兆民主戦論

七、谷千城の非戦論と幸徳秋水

八、内田良平の『露西亜論』

 

『戦闘者の精神』所収の「明治思想史における左翼と右翼の源流ー中江兆民頭山満幸徳秋水内田良平

一、中江兆民頭山満

二、中江兆民の思想ー三酔人経綸問答講義

三、頭山満と福岡の玄洋社

四、中江兆民と条約改正

五、頭山満と条約改正

・・・・

九、レーニン孫文日露戦争

十、右翼対左翼の特徴 

 

(論文の要約)

 本論文を要約すれば、中江兆民を代表とした我が国初期の自由民権論者は、民権のみならず国権の重要性も認識していた。その意味において、中江兆民頭山満は互いに通じ合っていた。しかし、その弟子、幸徳秋水(兆民の門下)と内田良平(頭山の門下)になってくると、そのような関係は見られない。この点に我が国における左翼と右翼の発生を見ることができる。

 筆者たる葦津は、内田の路線を日本人の歩むべき正道と心得るが、日本への無条件の信頼が弱点であることも認識している。その点、幸徳の主張を劇薬として服用することが求められるが、それ自体は日本人としての正道たり得ないと主張する。

 そして、我が国における右翼と左翼の発生を考究する者は、 日露戦争が迫っている明治三十四年(1901年) に出版された幸徳秋水の「帝国主義」と内田良平の「露西亜論」を比較せよと説く。

 

一、中江兆民頭山満

中江兆民を「急進的民権論者」という面だけで評価してはいけない。兆民は洋学者である以上に漢学者、仏典研究者だった。兆民は、「東洋的気風」を評価し、「洋学的人物」を評価しなかった。そんな兆民であったが、年下の頭山満を高く評価していた。

  

二、中江兆民の思想ー三酔人経綸問答講義

 兆民を評して「東洋のルソー」などという俗評があるが、一面的である。兆民はルソーに対しても批判を持っていたし、彼が目指したのはあくまでも「民権的新知識を有する志士仁人」であった。

 『三酔人経綸問答』の洋学紳士の意見が、兆民その人の意見だとする見解には同意しがたい。兆民は洋学紳士の理論に存在意義を認めつつも、東洋豪傑の人物を認めた。

 兆民が帝国憲法に失望したからといって、国体を否定などと思ってはいけない。政府と天皇の間には明確な区別を認めて、「君民共治」を理想としていた。 

 

三、頭山満と福岡の玄洋社

 明治民権史のみならず、東洋の民族運動にも影響を与えた玄洋社。初期の民権運動は、民権と国権を対立的に捉える見方では理解できない。

 

四、中江兆民と条約改正

 明治二十年ごろの兆民は、条約改正問題に力を入れた。その立場は、欧化主義反対のものである。

 

五、頭山満と条約改正

明治二十二年十月、条約改正問題で大隈重信に爆弾を投げつけたのち自害した来島恒喜は、玄洋社の社員であった。その爆弾は頭山が大井憲太郎からもらい受けたものだった。

 

六、中江兆民主戦論

自由民権運動を支えた思想は当初から、尊王攘夷征韓論、民撰議院の建白等、民権のみならず、国権意識とも結びついていた。兆民もその一人だ。

 

七、谷干城の非戦論と幸徳秋

幸徳秋水は、師匠の兆民とは異なり、対露非戦論を唱えた。郷党の重鎮谷干城伊藤博文も対露開戦には慎重であり、幸徳の「帝国主義」は出版できた。発禁となったのはむしろ黒龍会内田良平の「露西亜亡国論」の方である。

 

八、内田良平の『露西亜論』

明治三十四年(1901年) に、幸徳秋水の「帝国主義」と内田良平の「露西亜論」が出た。最初、「露西亜亡国論」として出版したのだが、主戦論を警戒していた検閲当局が発売禁止、没収したので、「露西亜論」と改めて出版した。

 

九、レーニン孫文日露戦争

 葦津によれば日露戦争に関して、日本の勝利を希望した者には、自由主義者社会主義者も含まれていた。幸徳秋水堺利彦らの『平民新聞』らは、メンシェヴィキの新『イスクラ』と同じ平和論である。これに対してボルシェヴィキレーニンは、ロシアの専制政治に打撃になる限りにおいて、日本の勝利を支持したという。

 もちろんその後レーニンは、日本が帝国主義化し、朝鮮併合をしていくころになると、日本を敵視した。孫文の立場もこの場合のレーニンに似ているという。「明治三十年代の日本が、中江兆民のいふところの「真の武を雄張し」内田のいふところの「仁義の師」をおこす資格のあるのを認めた。しかして、幸徳流の「一般平和論」を空語とした」(912頁)。

十、右翼対左翼の特徴 

 内田良平的な右翼と幸徳秋水的な左翼を対比する。

内田にとって日本は「アジアの解放者」であり、「ロシア革命の援助者」であり、特殊な地位に立つ国であったが、幸徳にとて日本はただの国家であり、なんらの特別な地位も有しない。内田の弱点は、日本への無限の信頼にあったが、幸徳の弱点は、現に目の前にある日本の生彩ある特殊性を見ることができない点だ。

「日本の右翼と左翼の源流をたづねる者は、明治三十四年版の内田良平露西亜論」と幸徳秋水帝国主義」を読むがいい。(中略)。その論理において、その強み弱みにおいて、そこには後代日本の右翼対左翼の対立的特質の原型とも称すべきものを発見するであろう」(916頁)

 以上が葦津論文の要約である。

 

そもそもこの記事は、外山氏の

日本の右翼の源流である頭山満も左翼の源流である中江兆民自由民権運動が活動歴史の出発点で、いずれも西郷隆盛を尊敬していました。自由民権運動の過程で、民権つまり民主主義を定着させるためにはまず国力を充実させる必要があると考え始めた人たちの代表格が頭山満です。逆に中江兆民の弟子筋から幸徳秋水が出て、幸徳は明治の社会主義者の代表格であり、アナキストです」(外山・上掲書、40頁。太字引用者)。

 

という文章についてコメントをすることが目的でした。冒頭で述べたように、外山氏はもともと左翼が「ナショナリスト」であり、資本主義が国境を越えて広がっていくにつれて社会主義も広がっていき、そのあたりから左翼は「インターナショナル」へと移行していくと論じていた(外山・上掲書、39頁)。そして保守派と右翼が手を結んだことで、「右が愛国的で、左は国際的」というイメージが成立すると指摘している(40頁)。

 

外山氏は「ナショナリズム」や「愛国」の成立も一面的ではないという文脈で、兆民と頭山らを持ちだしているから、葦津氏の議論と文脈が異なるし、外山氏が葦津論文を読んだかどうかまでは分かりませんし、私がそう主張しているのでもありません。でも、葦津氏の論文を経由することで、外山氏の議論もより深く理解することだができると思いますので、書き残しておきます。

 

葦津氏の論文は、上述の通り葦津珍彦選集編纂委員会・編『葦津珍彦選集(第二巻)』(神社新報社、平成八年)に収録されているものであり、私の持っている版もこれである。だが、1万2千円ぐらいするものだし、在庫もあるのか分からないから簡単には購入できないだろう。

 

選集によれば、この論文が収録されていたのは『武士道ー戦闘者の精神』(徳間書店、昭和四十四年)ということだからこのタイトルで探すのもよいかも知れない。ただ現物を見たわけではないので、購入の際は本当に収録されているか何らかの手段で確認してからにしてください。

 

武士道―戦闘者の精神

武士道―戦闘者の精神

 

 

幸徳秋水の「帝国主義」は、岩波文庫に収録されているので簡単に手に入る。一方、内田良平の「露西亜論」は、入手が難しい。このような出版事情も、思想がフェアに普及するかどうかという観点では問題だろう。国立国会デジタルコレクションの「露西亜論」にリンクを貼っておく。これを機に、同コレクションを探求してみてはどうだろうか。利用は無料である。

 

帝国主義 (岩波文庫)

帝国主義 (岩波文庫)

 

 

 

 

露西亜論 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

 

 

コンメンタール 外山恒一氏『良いテロリストのための教科書』(青林堂、平成29年)★★★★★

コンメンタール 外山恒一氏『良いテロリストのための教科書』(青林堂、平成29年)★★★★★

 

昨年(平成29年)に出版された本だが、私は今年(平成30年)に購入した。

じっくり読む機会がなかったが、大晦日に少しだけ書き残しておこうと思う。

 

最初に書いておきますが、私が読んだ限り、この本はタイトルから想像されるような「テロ」とは無関係で、戦後から現在の至るまでの我が国の思想状況を活写したものだと思います。「テロリスト養成本」などではなく、活動から生み出された思想の本であると理解して話を進めて行きます。

 

コンメンタールとは、法学部で覚えた言葉で、法律の条文の注釈が載っている書のことである。条文となった法律の要件や効果はもちろんのこと、文言の意味、由来,、歴史的経緯などを詳しく説明したものである。百戦錬磨の外山氏が現在の状況に放った言葉に付け加えられることは、私にはない。そこでコンメンタールの形式を借りて、読者の役に立つと思われる「知識」を書こうと思う。

 

私が外山氏の著作(『注目すべき人物ー1970年生まれの「同世代」批判』ジャパンマシニスト、1992年)を初めて読んだのは、高校生の時である。反管理教育運動などを巡って、繰り広げられた外山氏独特のスタンス、言語化する能力、行動の中で進化していく姿などに衝撃を受けた。そして今にいたるまで、敬意を払っている。

 

ちなみに当時私が訪れた書店で外山氏の著作は「人権」コーナーに置いてあったと記憶する(笑)。私もまだまだ思想が形成されていく途中だった。

 

 さて、本書は東京都知事選で前代未聞の政権放送を行った外山氏が「近年の“右傾化”した若たちを主要読者に想定し」、彼らの批判対象である「左翼」について、「左翼とは何か」(6頁)を解説するため架空の人物を聴き手に設定したインタビュー形式の書物である。したがって、右翼と左翼の起源などが解説されている。

 

新聞・論壇誌などの世界では、一時期「右傾化」という言葉で近年の思想動向が批判されたが、外山氏はむしろ現代は「左傾化」していると主張する。

 

男女共同参画社会だのバリアフリーだの地球にやさしいナントカだの嫌煙権だの、一つ一つの是非はさておき、少なくともすべてPC的な左翼が要求してきた政策であることは確かです」(17頁)。

 

「そしてそれら左翼的な政策を右派政党・保守政党であるはずの自民党でさえ、少なくとも建前としては推進せざるを得なくなっているという意味で、世の中は完全に左傾しているんです」(同頁)

 

確かにLGBT、貧困問題(子供の貧困・非正規雇用など)なども含めて「左傾化」している。一方、外交問題や歴史問題などでは、かつてのように非武装中立、無抵抗の主張というような言論や、大日本帝国時代の罪悪感を刺激して、現在の問題にまで及ぼそうとする言論が力を失いっているという意味では「右傾化」しているようにも見える。

 

それぞれ棲息する場所が異なっていると思うので、「左傾化」と「右傾化」は現代日本では同時に進行していると捉えることができるのかも知れない。

 

外山氏は「どうして自民党までPC推進政党になってしまったんでしょうか?」という問いを設定し、自身でこう答えている。

 

「さきほど冷戦時代には東側の共産主義陣営が左、西側の資本主義陣営が右とされていたと言いましたが、実はその一般的な認識は間違っていたんです」(23頁)「本当はどちらも左で、冷戦というのは“左VS左”の争いでしかなかったんですよ」(同頁)

 

このように主張して、「かなり影響を受け」た「批評家」の意見を紹介する。それが呉智英氏の意見なのである(ちなみに本書では、「くれ・ともふさ」ではなく、「ご・ちえい」と読み仮名を振っている)。

 

呉智英さんという批評家がいます」と述べ、左翼のPC的風紀委員化を早くから根源的に批判していた人物として紹介する(23頁)。

 

呉智英さんは旧東側諸国の共産主義つまり多くの人が普通にイメージするような共産主義のことを「東回りの共産主義」と呼んでいます。「東回り」というのは「ロシア経由」ということですね」(23頁。太字引用者)。 

 

「西欧風の“人権と民主主義”のイデオロギーを「西回りの共産主義」と呼ぶんです。「アメリカ経由」で日本に“伝来”したということです」(23頁‐24頁。太字引用者)

 

このように述べて、自民党アメリカ追従している限り、その余波を受けることは避けられないと指摘しています。今回はこの太字の部分について私の知っていることを注釈として付け加えたいと思います。

 

外山氏が参照している論文は、1995年に出版された『賢者の誘惑』双葉社、1998年)の122頁以下収録されているアメリカ経由の共産主義のことだと思われる。

 

この論文で呉氏は、1990年代前半という主要な社会主義国の崩壊という世界情勢を背景に、「共産主義は終わったか」という問いを立てて、根源的な立場から、「共産主義は終わっていない」ことを論じます。何故か。それは「共産主義とは純粋化した民主主義」だからである。(呉・上掲書、128頁) 

 

「民主主義との理想は共産主義でしか実現せず、民主主義の内容である人権思想も、従って共産主義でしか実現しないのです」(同頁)

共産主義が敗北したとするなら、それは民主主義が敗北し、人権思想が敗北したのであって、その逆ではないのです。」(呉・上掲書、128頁‐129頁)

 

この点はJ・L・タルモン『フランス革命と左翼全体主義の源流』を代表として、アレントソルジェニーツィンなどと同様の認識であると主張します。詳しい主張は、すでに別の著作で行っていると言います。その点は後述します。

 

共産主義とは純粋化した民主主義」という認識を前提に、「民主主義と人権思想を根本的に疑わない以上、差別狩りはエスカレートこそすれ、歯止めがかかることはありません」とも言う(呉・上掲書、129頁)。

 

結局、「フランス革命にはじまる民主主義・人権思想という病気は、東へ移ってロシヤで共産主義になり、反対に大西洋を渡ってアメリカで差別狩りになりました。ロシヤ共産主義にたじろいだ人たちはアメリカに目を向け、自分は共産主義者ではないと思い込んでいますが、出自も原理も同じである以上、ちがうはずがないではありませんか」と主張されます(呉・上掲書、130頁)。

 

 「共産主義とは純粋化した民主主義」という呉氏の主張について

これだけでは、納得が行かない人もいると思うので、呉氏の諸著作から少し長くなるが論証部分を引用する。

 

『知の収穫』双葉社、1997年。1993年にメディアファクトリーから刊行されたものの文庫化)

 「社会主義の原点は昨年二百周年を祝ったはずのフランス革命の思想、すなわち民主主義・人権思想だからである。これは意外なようで意外ではない。フランス革命の理想をさらに推し進めようとするジャコバン党こそが共産主義の父祖であることは、共産主義者であると反共産主義であるとを問わず、歴史的事実を正視しようとする人なら認めているのだ」(p.163)(*文末に「91.1」と記されているので、91年の1月に発表されたものであろう。)

 

『サルの正義』(双葉社、1993年)

「平等は、どう考えたって、共産主義以外で実現するはずがない。「いくらか平等」や「かなり平等」で停滞しようというのなら別だが、平等の理念をつきつめれば必ず共産主義に行きつく」(53頁)

「自由は、どうか。絶対的な帝政の下にも、たった一人の自由はあった。帝王の自由だ。それが民主主義の自由ではないとするならば、社会の誰もが平等に自由でなければならない。とすれば自由を実現するには共産主義以外にはないことになる」(同頁)

「民主主義と表裏一体の関係にある人権も、全く同じである。すなわち、民主主義を基準にすれば、その究極が共産主義になるのは明らかだ」(同頁)

 

連合赤軍事件を論じた箇所において。

「かつて学生時代、疑問や反感さえ抱きながら、代わるべきものを持たないがために否定できなかった現代の正義や理想とは、民主主義であり人権思想である。民主主義とは制度面に着目した言葉であり、人権思想とは内容面に着目した言葉であり、両者はむろん同じものである。」

「民主主義を謳うフランス革命のときに人権宣言が発せられたことからも、それは明らかだ。そして、民主主義をつきつめてゆけばマルクス主義すなわち共産主義にならざるをえないことも、明白である」

「なぜならば、自由・平等・友愛の理想を最も強く打ち出しているのは共産主義だからである。共産主義でなければ、真の平等は実現しないだろう。社会の一部の人のみが自由であっても、それを自由な社会とは言わないとすれば、共産主義以外に自由は実現しないはずだ。自由と平等を実現するための友愛(団結・連帯)を説くのは共産主義である。共産主義ことは民主主義の究極形なのだ」(101頁)

 

社会主義圏の崩壊に際して、共産主義が敗北し、民主主義が勝利したという言説を論じた箇所において。

「そもそも、この人たちが民主主義と共産主義を対立物のように思っているのが奇妙だ。民主主義の要件を簡単に言い表せば、フランス革命時の「自由・平等・同胞愛」の標語になるだろう」(105頁)

「さて、この自由と平等は、共産主義以外で実現できるはずがないことは、これまた明白である。「やや平等」や「一応平等」で停滞しようというというのならともかく、本気で平等の実現を目指すのなら、共産主義以外の選択肢以外の選択があろうはずがない。真の平等は共産主義においてのみ実現できるのだ」(同頁)

「自由はどうか。ほんの一握りの人たちが自由である社会を自由な社会とは言わない。(中略)。では、三握りなら、どうか。これも自由な社会ではあるまい。一握りでもだめ、二握りでも三握りでもだめ・・・・・、となれば、全員が平等に自由である社会を目指さなければならない。当然、この点でも共産主義以外の選択はない」(105頁‐106頁)。

 

これ以外にもあるかも知れないが、ひとまず呉氏の 共産主義とは純粋化した民主主義」という主張の理由づけは示されている。

 

これでひとまず外山恒一氏『良いテロリストのための教科書』の

 

呉智英さんは旧東側諸国の共産主義つまり多くの人が普通にイメージするような共産主義のことを「東回りの共産主義」と呼んでいます。「東回り」というのは「ロシア経由」ということですね」(23頁)。 

 

「西欧風の“人権と民主主義”のイデオロギーを「西回りの共産主義」と呼ぶんです。「アメリカ経由」で日本に“伝来”したということです」(23頁‐24頁)

 

部分のコンメンタールを終えます。「極左活動家」から「ファシスト」になった外山氏、自己を「極左封建主義」と規定する呉氏、大晦日に書くことではないな(笑)と思いながらも、知っていることを書き残しておきたいという気持ちから書きました。

 

なんとか今年中に書くことができました(12月31日 21:15)。

平成最後の大晦日。良いお年を!

 

 

ちなみに呉智英氏は、共産主義の概説書として、昨年出版された『日本衆愚社会』(小学館、2018年、98~99頁)において共産主義に反対していた二人の人物の著作を紹介している。

小泉信三共産主義批判の常識』

猪木正道共産主義の系譜』

 

 

良いテロリストのための教科書

良いテロリストのための教科書

 

 

 

賢者の誘惑 (双葉文庫)

賢者の誘惑 (双葉文庫)

 

 

 

サルの正義 (双葉文庫)

サルの正義 (双葉文庫)

 

 

 

 

かつての鹿児島旅行の写真

今年の思い出と言えば、鹿児島旅行だ。

悲しいことが続き、喪うことの多い私の人生で、久しぶりに楽しい旅行ができた。

10数年前に福岡、長崎、鹿児島へと九州旅行したのだが、その時の写真が見つかったので、記念に載せておきます。

 

この頃は、まだ九州新幹線が完成していなかった時。これは確か熊本の八代駅で撮影したはず。

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新幹線(八代駅

鹿児島中央駅から鹿児島入りして、市内を観光した。

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尚古集成館および仙巌園

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鶴嶺神社桜島

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南洲墓地とそこから見た桜島

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城山公園から見た桜島

一番下の駐車場は、今回も行った(笑)。友人と雨宿りしていたのが、左に見えるおみやげ物屋さんおの軒下です。以前も通っていたみたいです。

翻訳者への道は険しいー山岡洋一氏『翻訳とは何かー職業としての翻訳』(日外アソシエーツ)★★★★★

翻訳者 苦労多く、報われることが少ないー山岡洋一氏『翻訳とは何かー職業としての翻訳』(日外アソシエーツ)★★★★★

 本書を手に取る人はどんな人だろうか。

 きっと何かの作品を翻訳をしたいと思っている人、それも翻訳で収入を得て、生計を立てて行きたいと思っている人。翻訳者として名前を残したい人。そして、よりよい翻訳ができるようになりたいと思うような人ではないだろうか。

 

山岡氏の名前は、翻訳者の欄で見たことはあった。だが、恥ずかしながら、山岡氏の翻訳した本を読んだことがなかった。でもいつかは読まないといけないなーと思っていた。

 

ネット上で山岡氏が主宰していた『翻訳通信』の文章が読めたので、しばらくはそれでよかった。

 

でも、転職して、翻訳に関連する(本当に「関連する」程度のなのだが)職についた以上、後には引けないと思い購入した。アマゾンで品切れになっている点も、現時点で購入しなければ、古本で探すことになると思い購入を後押しする要因となった。私の行動範囲の大型書店には、まだ新品で置いてあった。

 

印象に残った点についてのみ書く。

 

翻訳とは何か

一九八〇年代に話題になった機械翻訳を取り上げ、翻訳とは辞書と文法規則の組み合わせによって出来るほど簡単なものではなく、日本語の書き下しより難しいものであると主張する。

 

翻訳とはどうあるべきなのか。ヘーゲルの『精神現象学』を訳した2人の人物、すなわち金子武蔵氏と長谷川宏氏の翻訳を取り上げて、比較する。

 

金子氏は「原文に忠実」な逐語訳であり、読者がドイツ語の原書を読むことを想定している学者訳と呼ばれるべきものである。これが主流であった。だが、長谷川氏の訳は、金子氏ら主流の翻訳スタイルを拒否して、翻訳しか読まない読書にも理解できるように訳してあるという。著者はこちらを評価する。その際、福田恆存シェイクスピアの戯曲翻訳論を引き合いだす。このあたり私の目から見てセンスが良い。

 

村田蔵六を取り上げた箇所で)「翻訳とは原文の表面を見て、訳文を作り上げて行く作業ではない.。それは英文和訳、あるいは蘭文和訳であって、翻訳ではない。(中略)。翻訳とは、原文の意味を読み取り、読み取った意味を母語で表現する作業である」(p.100)

 

職業としての翻訳者について

翻訳者に憧れる人が増えていて、翻訳スクールなどに通う人が多いが、スクールなど行かなくてもいい。それよりも一流の翻訳を読んで、見習うこと。

本に名前を刻みたければ、著者になればいいのであって、著者になれないが、翻訳ならできるだろうという安易な考え方はやめておいたほうがいい。

 

「翻訳は苦労が多く、報われることが少ない仕事だ。翻訳者は物書きの端くれを自認しているかもしれないが、物書きの世界では仲間だとは認められていないのが通常だ」(p.231)

「翻訳は地味で地位の低い職業なのだ」(p.232)

 

英文和訳と翻訳の区別

我々は中・高(そして大学でも!?)英文和訳をすることを学んだ経験がある。私も大学に入学した際、どの程度自分なりの翻訳をしてよいのか悩んだ。この点に答えてくれる教員はいなかった。

「英文和訳では、原文を読んで、訳す。翻訳では、原文を読んで、理解し解釈し、その内容を日本語で執筆する」(p.119)

「英文和訳では英語が中心であり、翻訳では日本語での執筆が中心である」(p.119)

 

生活者・社会人として

おもしろいことに、本書には山岡氏の生活感覚というか、社会人としての側面がかいま見えることがある。

 「翻訳の発注者は翻訳者が経済的な意味で、翻訳「によって」生きていこうとしているとは考えてもいないことが多い。大学の教官として一生の生活を保証されているのか、親の遺産で無為徒食が許されているのか、扶養家族がおらず三畳一間の安アパートに住んんで近くの公立図書館を書斎がわりに仙人のような生活を送っているのか、稼ぎのよい配偶者か気前のいいパトロンがついているのか、理由はともかく、生活費の心配はないはずだと暗黙のうちに想定されていることが多いのだ」(p.186)

 

「新聞にときどき掲載される翻訳会社の求人広告には、たいてい「経験者に限る」と書かれているし、そう書かれていなくても、未経験者では書類選考の段階をめったに通過できない」(p.225-226)。

これなど翻訳に限らず、様々な分野の求人広告を見て、いつも悩んでいた点だ。 

背景に見えるこだわり

文中、山岡氏が単なる翻訳家ではないことが分かる文章に出会いうれしくなる。

「歴史を見て行くと、復古の動きが逆に、社会の進歩のきっかけになったことが、何度もあるように思える」(p.83)

 

第二章で、古今東西の翻訳者を紹介した所で、村田蔵六大村益次郎)を取り上げて、

村田蔵六は軽薄な開明主義者ではなく、西欧かぶれでもなく、攘夷主義者だったのである。勝海舟を驚かせた翻訳の原動力になっていたのっは、強烈な民族主義であった」(p.103)

おわりに

第二章の翻訳者列伝のような箇所を紹介できなかったのは残念であるが、詳しは本書を読んで欲しい。私などは特に三蔵法師の伝記を詳しく知りたくなった。 

翻訳とは何か―職業としての翻訳

翻訳とは何か―職業としての翻訳

 

 

大人になった今読むー渋沢栄一『論語と算盤』(角川文庫、平成20年)★★★★★

大人になった今読むー渋沢栄一論語と算盤』(角川文庫、平成20年)★★★★★

「仮令自分はモット大きなことをする人間だと自信していても、その大きなことは片々たる小さなことの集積したものであるからどんな場合も軽蔑することなく、勤勉に忠実に誠意を籠めてその一事を完全にし遂げようとしなければならぬ」(渋沢・上掲書、72頁)

仮令・・・たとい。

 

渋沢栄一の名を知ったのは、やはり呉智英氏の著作だったと思う。

呉氏は論語を危険な思想を説いた書であるとする立場から、通俗的論語理解や世間の常識を押しつけるような論語の持ち出し方を批判しているのだが、渋沢を批判するのかと思いきや、「毒を薬に変えようとした者だけが、毒はあくまでも毒であることを知っている」(『サルの正義』双葉社、1993年、134頁)と評している。

 

その時は、危険な方に魅了されている自分だった。経済が切実な問題ではなかったからだ。でも今はどうだ。安全な収入のある方を選んでいる。選んでしまっている。

 

それはなぜか。渋沢の言うように、「武士的精神のみに偏して商才というものがなければ、経済の上から自滅を招くようになる」(23頁)ような現実を生きているからである。

 

生計を立てることの苦労、割り当てられた仕事の平凡さに耐えられない毎日。武士が「武士の商法」で滅んで行った時代、かつての大名家でも生活の苦しさを味わった時代、道徳と経済の両立ができた渋沢栄一の本を通勤電車の中で読む。子供のときには分からなかった味。

 

割り当てられた仕事のくだらなさを慰め、自分を戒めるかのように読む。

 

我慢の足りない自分。人間の出来ていない自分。でも本当に俺が悪いのか?という気持ちもある。

 

自分のやりたいことをやって死んでいきたい。

 

1度きりの人生。

 

こんな仕事を続けるのか。自問する時間もない毎日。

 

そうこうする間に年ばかり取る。

 

なんのための人生なのか考えろ。

 

こんなことをするために生まれてきたのか真剣に考えろ。

 

自分を救ってくれ。

 

年末がせめてもの救い。

 

自分を見直し、掘り下げよう。

 

 

 

論語と算盤 (角川ソフィア文庫)

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