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書評を中心に自分の好きなことを詰め込んだブログ、光明を失った人生について書き残しておきます。日本でのアニマルウェルフェアの推進に賛成します。

私の稲盛和夫論①ー『成功への情熱』

私の稲盛和夫論①ー『成功への情熱』

 

小・中・高の時に、働いている自分を想像できただろうか。

ー私はできなかった。

会社の中で働くサラリーマンになりたかったのだろうか。

 ーなりたくなかった。

大学の時は、どうだっただろうか。

ーやはり純粋な思想に重きを置いて、経済混じりの言論を遠ざけてきた。

 

そんな私も中年となり、いやでも賃金を得る仕事をして生きて行かざるを得ない身となった。空想から生活へ。働いてみると、自分は社会の中で小さな存在。いろいろな人に指図される存在。

 

思想はどこに行った。思想や哲学よりも、生活費を心配する毎日。

何をするにしてもお金が要る日々。

何をするにしても・・・。

 

生活の場に足を移した自分を支えてくれる考え方はないだろうか。

大人になった自分の鑑賞眼に耐えられる思想はないだろうか。思索のパートナーとなる人物や著作はないだろうか。

 

学生時代から松下幸之助さんの『道をひらく』は読んでいた。単なる財界人の代表者というだけではなく、京都にある幕末の志士のミュージアムに関係している霊山顕彰会の初代会長を務めるなど、公にも貢献しているからだ。

 

PHP研究所から出版されている『道をひらく』は、ビニールカバーがされたポケットサイズで持ち運びやすい。内容はというと、日々の心がけを説いたものであり、日々の研究にも役立つものであった。PHP研究所も、松下幸之助氏が創設したものである。

 

稲盛和夫氏の『成功への情熱』も、そんなシリーズの一冊である。

 

『成功への情熱』は、稲盛氏が興した会社・京セラがアメリカの有力な電子部品メーカーAVX社を買収した際に、稲盛氏の考え方を伝えるために『心を高める、経営をのばす』の英訳に、稲盛氏との質疑応答を加えて、アメリカ向けに編集し直し、マグロウヒル社から出版された”A PASSION FOR SUCCESS”の日本語訳である。

 

私が本書を手に取ったのは、名経営者として名高い稲盛氏の本を読むことで、仕事や職業に対するやる気を出す起爆剤になればいいと考えてのことだ。

 

とはいえ、泣かず飛ばずの人生を送ってきた私にとって、悲しいかな稲盛氏の言行はマネできないなと思っていた。

(⇒以下は、私のメモ書き)

成功のための方程式

人生の結果=考え方×熱意×能力

⇒このように考えているからこそ、後に『考え方』という独立の一冊が書かれることとなる。

 

能力

・もっとも偉大な能力とは、自分自身に打ち克つ能力

・繊細でシャープな神経の持ち主が、幅広い経験を積むことによって、真の勇気を身につけて行った時にはじめて、理想的な人物になれると思う。

⇒繊細なだけではダメ。豪胆なだけでもだめ。徐々に太くなっていくこと。

・人間は、理性を訓練することにより、いつでも意識をレーザー光線のように絞り込むことができるようになる。

・壁を突破すれば、自信がつき、より粘り強い人格が形成される。

GLAYの曲にもあった「努力が実れば、もうたやすく迷わない」。でも私の人生は中年になっても「どこまで行けばいい。迷いの森をただ」である。

 ・「創造の世界を司るのは、統計数字ではなく、それを創り出す人間の情熱と意志」

 ・「偉大な成果を生むには、まず自分の仕事に惚れ込むこと」

⇒研究時代ならそう思えた。だが、低賃金の不安定な仕事に惚れ込むことはできないよ。自分はいつもやりたいことと仕事がちがう。唯一の例外は、大学院時代の2年間だけだった。もう手の届かない時代。そのことを見透かしたように・・・

・「残念ながら、学校を卒業したばかりの若い人たちは、地味な仕事ばかりさせられていると、それに辛抱できなくなります」。

⇒もう輝いている同年代の人がいるのに。なんて自分はみじめなんだ。自分の思った道に進めないだけではなく、それた道でも不安定なんて。

「そういう人は何をしても決して満足することはないのです」。

えっ、何で?

「もし広くて浅い知識しかなければ、それは何もしらないことと同じことです。」「ひとつの技や分野を深く追求することにより、すべてを知ることができるのです」。

⇒力強いお言葉だが、不安がある。

「すべてのものの奥深くに、心理があるのです」

⇒さすがはセラミックを極めた人。重みがある。でも私にその深奥が開かれるのだろうか。疑心暗鬼の中にいる。

熱意

生涯を通じて打ち込める仕事を持てるかどうかで、人生の幸不幸が決まる。

 

考え方

(単純な問題でも欲がからむと複雑になる。だから私欲を離れた考え方が必要)

・天は誠実な努力とひたむきな決意を無視しない

・安易な道は、ゴールまで導いてくれない。

・極楽と地獄は紙一重

*禅の修行をしたことがある人物らしい説話。

・集中するということは習慣性の問題。有能な人物とは、正しい判断を素早く下すための注意深さと洞察力を身につけている人物のこと(98)。

 

 

成功への情熱―PASSION (PHP文庫)

成功への情熱―PASSION (PHP文庫)

 

 

ここにいるじゃないー「法令の英訳1割どまり」日経新聞 平成30年10月22日(月)

ここにいるじゃないー「法令の英訳1割どまり」日経新聞 平成30年10月22日(月)

10月22日の日経・11面法務欄に「法令の英訳1割どまり」という記事が載っていた。

www.nikkei.com

記事によると、日本政府による日本の法令(法律と政令)の翻訳事業が、10年前に始まっていたのだが、翻訳するスピードが追い付いておらず、海外企業には不満の声があるとのこと。

 

英訳された法令の人気は、ビジネス・会社法関係が上位に来ているようで、需要も多いとのこと。

 

ところが、人材の確保が難しく、対応できていないとのこと。

 

韓国は法令の英訳を6割終えているが、我が国は1割とのことだ。

 

韓国との比較は、韓国の法令数がどれくらいか示されていないので、比較としてどれくらい意味がある数値なのかは分からない(我が国は約7800とのこと)。

 

ただ、需要があるのに翻訳できていなのは、誠に残念なことである。

 

明治時代に海外の法令を継受するため、翻訳することの多かった我が国が、今度は海外に発信する立場になっている面があるのだから、頑張ってほしい。

 

というか、「英語と法律に精通する人は限られる」と書いてあるが、「精通」しているとまでは言えなくても、法学部かつ英語の勉強を継続している私がいるではないか。

 

即戦力にならない?それはそうであろうが、即戦力になるひとがいないからこうなっているのではないか。ならば、少し費用をかけても教育の機会を提供し、門戸を広げてもらいたい。

 

ここに事業の意義を理解し、やる気のある人材がいますよ。

涙くんさよなら!ー渡辺和子さん『どんな時でも人は笑顔になれる』

涙くんさよなら!ー渡辺和子さん『どんな時でも人は笑顔になれる』(PHP、2017年)

 

本ブログでは「ヨブ記」などについても書いて来た。本当に共感できるものがあったからだ。だが、これからしばらくは、ビジネス・スキルを向上させることに費やします。聖書から俗世間の話になっていく自分であるが、それが今の現実だから仕方がない。日々の生活を送るための糧を得なければならないし、よりよい人生を送りたい。

 

これからしばらくは自分の仕事に関する後ろ向きな記事は書きません。「涙くん、さよなら」。昔、14人ぐらいの大家族を扱った『天までとどけ』というドラマがお昼にやっていた。夏休みぐらいに見ていて、学校が始まったら見られなくなるパターンが多かったのだけど、学校を休んで見ていた時もあった。そんな自分。中年になっても、自分には子供がいないのだけど。子供がかわいいと自然に思える年齢になっても、自分には子供がいない。大家族いいな。

 

今回書き遺しておきたい本の著者の渡辺和子さん。1927年の生まれとのこと。二・二六事件で父の渡辺錠太郎氏を喪って、生きる運命を神から与えられた。

 

『置かれた場所で咲きなさい』が有名であるが、『どんな時でも人は笑顔になれる』が遺作とのこと。政治などの考えは、ちがうかも知れない。でもこの本が好きだ。

 

「冬に思うこと」と題された一節。

 

「履歴書を書かされる時、必ずといってよいほど学歴と職歴が要求されます。しかしながら、もっとたいせつなのは、書くに書けない「苦歴」といったものではないでしょうか」(34頁)

 

「学歴や職歴よりもたいせつなのは、「苦歴」」。素晴らしい言葉。これからも忘れたくない言葉。

 

「願いはすべて聞き届けられる」と題された節も重要。

ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に、一人の患者が残した言葉が紹介されている(もともとはイエズス会の神父が書いたものという)。

 

「大きなことを成しとげるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。

 

より偉大なことができるようになるように健康を求めたのに、より良きことができるようにと病弱を与えられた。

 

幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。

 

世の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった。

 

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと生命を授かった」(74頁)。

 

求めたものは一つとして与えられなかっただ、願いはすべて聞き届けられた」(同頁)。

 

私はここまで人間できていないが、失敗だらけの人生、かなわない望みだらけの人生だから、感動できるものがある。こんな人生を生きてきた自分には共感できる言葉だ。

 これから先、またこの5年で受けた苦しみと同じぐらい苦しいことがあるだろう。

しばらく涙とはお別れするつもりだが、人生は恥と苦難の連続。いつどんなことが起きるか分からない。そんなとき読み返してみたい。

どんな時でも人は笑顔になれる

どんな時でも人は笑顔になれる

 

 

報告 シンポジウム「グローバル資本主義を超えてⅡ」ー平成30年10月13日(土)

報告  シンポジウム「グローバル資本主義を超えてⅡ」 

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シンポジウム「グローバル資本主義を超えてⅡ」

はじめに

昨日、平成30年10月13日(土)に表現者クライテリオンと京都大学レジリエンス実践ユニット主催のシンポジウム「グローバル資本主義を超えてⅡ」に参加してきましたので、簡潔にご報告させてもらいます。

 

第二回目は「EU体制の限界」と「緊縮日本の没落」と題され、フランスから2017年のフランス大統領選の候補でもあったフランソワ・アスリノ氏(人民共和国連合)を迎えてのシンポジウム開催となった。

 

会場は、某国立大学の新築の棟であり、ちょっとしたコンサートホールのようなきれいな場所であった。数えた訳ではないが、参加者は150名ぐらいか。参加者の年齢層は、30代以上が中心に見えた。懇親会があるということもあって、スーツで参加している人も見かけた。

 

会場には『表現者クライテリオン』の2018年11月号が書店より、1週間早く積み上げられていたので、迷わず購入

 

講演全体として、やはり藤井聡氏の講演のうまさが目立ったので、藤井氏の発言を中心に簡潔にまとまめる(講演後半で述べたことも織り交ぜている)。

 

藤井氏は30歳まで日本の公共政策を研究し、インフラ投資・積極財政・増税凍結などの政策の重要性に確信を抱いた。学位を取ったあと、スウェーデンに留学し、心理学の勉強をした。ナチの心理学者がアメリカに渡った事実などを知り、情報戦の恐さを知った。帰って来て、「公共心理学」の講義をし、師匠に言われてジャーナリズムの世界にも進出し、TV・ラジオなどでも出るようになった。すべては情報戦争に対決するためである。藤井氏らのアプローチは、大学・ジャーナリズム・ポリティクスの「三位一体」で行っているという。

 

それでは、講演内容はどのようなものだったのだろうか。

 

 0.あんどう裕氏(衆議院議員・税理士)

「日本の未来を考える勉強会」を立ち上げて、活動しているという。このブログで特定の政治家の支持を訴えるつもりはない。なので興味のある方は、氏のHPを訪れ、動画などを視聴すれば、内容が分かるだろう。

1.藤井聡氏(京都大学大学院教授・内閣官房参与

2013年に第1回目のシンポジウムを開いた。その際、

グローバル資本主義が、経済格差とデフレ化をもたらすこと。

・「エリート」(霞が関ブリュッセルなど)の劣化と全体主義が、治安悪化、戦争などをもたらすこと。

・庶民の「グローバリズム疲れ」が「反グローバリズム」をもたらすこと。

・統計からも、グローバリズムはすでに停滞し始めていること。

などを論じた。

 

前回のシンポが開催された5年前と言えば「アベノミクス」が輝いていた頃。期待を持って迎え入れていたころ。あれから5年経過したが、現状はどうなっているのだろうか。

 

日本:消費増税➝デフレ化深刻

世界:イギリスのEU離脱ブレグジット):移民政策などをめぐって

アメリカ大統領選におけるトランプの勝利

欧州の反緊縮財政運動

 

日本は、国境にこだわらないかのように、移民拡大政策、TPP、日欧EPA、日米FTA締結している。

 

そして藤井氏は、緊縮財政を批判する。一見国内問題のようにも思えるが、藤井氏の見解によれば、緊縮財政は現今のグローバリズムと関連が深いのだという。

 

新自由主義(ネオ・リベラリズム。通称「ネオ・リベ」)とは、日本で言えば、小泉・竹中路線のこと。世界レベルでいうと、ワシントンの金融関係者があつまり方針を決定する「ワシントン・コンセンサス」のことだ。

 

そこでは、グローバリズムと緊縮財政が方針として採用される。これらは双子の関係にあるのだ。

1)グローバリストは、小さな政府を好む。

2)グローバリストは、財政政策を好まないし、それを支えるナショナリズムも好まない。

3)グローバリストは、ウォール街、つまり金融資本主義と強く結び付いている。

4)新自由主義は、緊縮とグローバリズムを推進する。

 

現在、欧米では反移民と説教区財政へと向かっている流れがある。

例)トランプ大統領保護主義+積極財政を見よ。

 

ところが我が国を見てみよ。

サヨク反グローバリズム+緊縮財政

∵(「なぜならば」の点)反政府が好みみたいだから

ホシュ:(少数とはいえ)反緊縮+グローバリズム推進・TPP・構造改革大好き

 

これらは「なんちゃてサヨク」「なんちゃってホシュ」なのである!

 

*ここで藤井氏は「なんちゃって~」をフランス語にどう翻訳するんやろうか?と言って笑いを取っていた。

 

なぜ、我が国では反グローバリズムが盛り上がらないのか?

実しやかに、

・移民・貧困が欧米ほどではないと思われている。

←世界第4位の移民大国?貧困もひどいだろう。

・災害大国・準植民地国家だから、仕方ないと諦めている。「学習性無力感」。

・反緊縮財政や反グローバリズムの新聞・TV・政党がない。

だから、反グローバリズムが生じにくい?

 

国内外からのロビー活動などを通じて、実際いまの日本のグローバル化は、進んでいる。

・移民政策の推進。

・TPP、日欧EPA、日米FTA

・あらゆる分野での構造改革・民営化・自由化の推進

 

緊縮財政にするとデフレ化⇒財政悪化⇒緊縮という悪循環

防衛予算も圧縮され、ますますの対米従属が強いられる。

 

ここで藤井氏は、最近佐藤健志氏が指摘した財政法4条とポツダム宣言との関係を指摘した『平和主義は貧困への道』を高く評価していた。ポツダム宣言との関係について藤井氏は、知らなかったと率直に述べていた。どのような地位になっても「知らない」と言えることは大事なことであると考えるので、好感が持てた。

(財政法4条)

第四条 国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。
○2 前項但書の規定により公債を発行し又は借入金をなす場合においては、その償還の計画を国会に提出しなければならない。
○3 第一項に規定する公共事業費の範囲については、毎会計年度、国会の議決を経なければならない。

http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=322AC0000000034より転載)

財政法は行政書士試験の時に、少し読んだぐらいで、解説できる能力はないので、興味のある方は佐藤氏の著作に直接あたってもらいたい。財政法は国家公務員試験や各種国家試験などにも出題されるはずで、研究者もいるはずだから、そう簡単に新説が生まれるものだろうかなど疑問もあるが、私も少しずつ調べて見る。

 

成長率ランキングのグラフを示し、日本がワースト1位であるという。さらに没落していく。2019年には消費税10%増税、2025年プライマリーバランス黒字化・・。

 

では、どうすれば良いのか?誰もが思うだろう。藤井氏は学者として、内閣官房参与として「救国のプロセス」を提示する。

<救国のプロセス>

1.消費増税の凍結

2.2~3年の大型景気対策を行い、デフレ脱却。

3.税収拡大⇒政府投資拡大・民間投資拡大・内需拡大すれば、外需に頼らなくて済む。

4.国力UP(経済力・科学技術など)

5.戦後レジームからの脱却

 

藤井氏は、「これぐらい学部1年のレポートでも書ける」「実現することが大事」と述べていた。新聞などによると、ちょうど10月15日の臨時閣議安倍総理が消費増税の日程を発表するようだ。藤井氏らは『表現者クライテリオン』の増刊号として『消費増税を凍結せよ』を11月28日に緊急発売する予定であるとのこと。私も注視していきたい。

 

西部邁氏亡き後、様々な人材がいる中で、この派で藤井氏が中心となっているのも頷ける内容・立ち居振る舞いであったと思う。TVやラジオに出演しているからなのか、話術もいい意味で巧みであり、ちょうどよい話し方で、聴衆を飽きさせなかった。

 

2.荻野文隆氏(東京学芸大学特任教授)

我が国に小選挙区制は合わないということを、家族形態が選挙にもたらすデータなどから主張していた。フランス語に堪能であり、発音も良く、技能に優れていると言えよう。

ただし、物事を説明するのに「下痢」「便秘」などという品のない用語を用いていたのは、会場に上品そうな女性もいたので、いかがなものかと感じた。

また、プログラムに載っている以上に講演時間が長く、メインゲストのアスリノ氏に譲るべきであるとも思った。

 

 3.アスリノ氏(フランス経済財務省・財務上級監査官)

官僚としての経験から、フランスの主権が制限されていることに疑問を持ち、政党を立ち上げた。EUシステムの機能不全を前にして、2017年の大統領選挙(マクロン氏が当選したあの選挙)に立候補する。その際にもメディア状況の不健全性に憤り、インターネットで上質な情報を提供することに務めているとのこと。

マダム・ルペンとのちがいは、ルペンがグローバリズムEUシステムの結果たる移民問題の現状を感情的に刺激するのに対して、アスリノ氏はその原因となるシステムの問題性を理性的にも指摘している点にあるという。

外交関係者として日本に滞在した経験もあり、冒頭と最後に少し日本語でスピーチをされた。

 

ここでいったん休憩となった。みんなトイレなどに駆け出して行き、自販機コーナーで飲み物を購入していた。

 

4.「没落について」中野剛志氏(評論家)

『TPP亡国論』などで有名な中野氏。初めて講演を聴いた。才子風の人物。

我が国の絶望的な没落を指摘する内容の講演。

イギリスのEU離脱は、労働者の保護や民主主義に資するもので、評価する。問題は離脱後よりも離脱のプロセスの大変さにあるという。

この点をW.B.アーサー(知りませんでした。)の「ロックイン」(囲い込み)という概念で説明。乗換コストが高いと、真意とはちがっても、そこに囲い込まれてしまうとのこと。EU離脱も離脱後のことよりも、そもそも離脱自体の乗換コストが高いとのこと。

日本も日米同盟の中に、ロックインされており、その没落は避けられないと主張。偉人の言葉を引用し、「終局への道を勇敢に進め」とのこと。

 

*きっちり30分で「ごきげんよう。さようなら」と講演を終えた。中野氏は私よりも遥かに頭のいい方であるから、見えすぎるほど見えているのだろうけど、戦後直後など多大な犠牲を払った後、占領もされており、何の希望もなかった所から、現在があるのだから、私は「終局」よりも日本人の力を信じたい(なんちゃって)。ともかく才子風の人物であった。

 

5.柴山桂太氏(京都大学大学院・准教授)

柴山氏は、手堅い印象を受ける人物である。テーマは「グローバリズムと地方の衰退」であり、「空間的不平等」を問題にしている。地域の分断を政治が後押ししてしまっている。例えば、公共事業は税金を分配する仕組みだったのに・・。

 

OECDのデータからも大都市型の経済に(日本が?先進国が?)移行していることが分かる。

 

そこでデビッド・グッドハートが"The Road to Somewhere" (2017)で行った、「Anywhere, Somewhere」という対比が興味深い。

 

Anywhere:高学歴で進歩的な価値観を持つ層。どこでも働き、どこにでも住める。

Somewhere:地元に密着して生活している層。

 

まあ、エリートと庶民みたいのもの。

 

大都市の成長を優先すべきであるという考え方は問題がある。

政治的反動、震災リスク、大都市の成長自体の限界などがあるからだ。

 

ここで大事なのは、「高等遊民的左派」でも「商業右派」でもなく、「中道」復権である。現状の打開は地方からなされるべきである・・・。

 

 

この後藤井氏とアスリノ氏との対談があったが、書籍化(書籍の一部)されるようなので、割愛します。

 

懇親会は会場横でなされていたが私は用事があったので、帰りました。

藤井氏は「ナショナリズム」を前提とした「インターナショナリズム」でアスリノ氏らと交流しましょうと呼びかけていたことが印象に残った。

 

理論ができて、現実にも責任を持って行動している藤井氏らに好感を持った一日であった。

 

帰りにcoco壱番屋のカレーを食べて、帰りました。

 

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coco壱番屋のカレー

 

私の稲盛和夫論(序)ー平成30年10月8日(月)

私の稲盛和夫論(序)

部屋(特に本)の「断・捨・離」をしていることは、以前に書きました。

その際に、稲盛和夫氏の本も捨てようと思いました。自分には入ることのできない世界、相手にされることのない世界であり、これからもご縁がないと思っていたからです。

book-zazen.hatenablog.com

 

でも、自分の意思で選んだ仕事ができるようになるから、仕事についての考え方を学びたいと思い、新たに購入した著作も含めて、読み進めている。だから、それについて記しておきたい。

 

「私の稲盛和夫論」というタイトルであるが、前半は主に稲盛氏の著作から学んだことを中心に記し、後半は京都賞などについての私見を述べて見たいと計画している。さらには稲盛氏にゆかりのある場所などを取材できればよいなと考えている。

 

昔の自分に、稲盛氏を知らなかった頃の自分に向けて書く。